江戸情緒を感じる屋形船

RESPECT
* 一戸建て 千葉
新築 一戸建て 千葉ならこちらです。自然の安らぎに包まれる街へ。
* 屋形船 東京
屋形船に乗って見る東京の景色は、またひと味もふた味も違う。こちらへどうぞ。
* 大阪 審美歯科
患者様のことを真摯に考えた大阪 審美歯科を探すのなら、こちらまでどうぞ。
* 自然葬
自分自身の終焉に対する思いを、予め書き残しておくためにエンディングノートを残そう。京都で葬式を開くなら、こちら。人生の終着駅を素敵に飾る京都の葬儀社をご紹介致します。
* 西宮市 不動産
西宮市の不動産探しのお手伝いサイトです。どんな要望にも全力でこたえてくれます。

代表的な橋、言問橋、厩橋、両国橋

たくさんの橋の下を行く屋形船ですが代表的な橋を見てみましょう。

もともと竹屋の渡しという渡船場があったところに関東大震災の震災復興橋梁として架設されました。名前の由来は在原業平の歌によるという説もあります。昭和20年3月10日未明の東京大空襲の際には、降り注ぐ焼夷弾の雨の中どこへ逃げればよいのか分からくなった人々が橋の両側から殺到し、橋長238.7m、幅員22mという大きな橋の上は人やびとや荷車やリヤカーで身動きがとれない状態となり、そこへ火が燃え移り、橋上はたちまち大火炎に包まれ多くの市民が焼死しました。今でも、両岸に近い部分の石柱は当時のまま黒く焼けただれた痕が残っています。

この一体は幕府の御米蔵があり専用の馬屋があったことからここの渡しは「おんまいのわたし」と呼ばれていました。この渡しでは事故が多発し別名 「三途の渡し」 などとも呼ばれていたようです。明治5年に多数の花見客を乗せた渡し船が転覆事故を起こした後は渡しはさびれてしまいました。明治7年不便を感じた地元住民たちが費用を出し合い木橋を架設しました。現在の厩橋は、昭和 4年関東大震災の震災復興橋梁として架設されました。

江戸最大の明暦の大火(振袖火事)で逃げ場を失った江戸市民が川を渡れずに3万人から10万人ともいわれる焼死者を出したことで架設されました。本所回向院は、このときの犠牲者を弔うために建立されたものです。やがて遊興地として栄えるようにもなり両国橋大花火が始まりましたが、明治30年の花火大会では、橋に詰め掛けた見物客の重みで欄干が崩れ、死傷者を数十人出す事故が発生しています。明治37年鋼製トラス橋が架設され、やがて関東大震災後の震災復興橋梁として昭和7年に架設されました。